駆け抜けて石応禅寺
前回(釜石、電動チャリで爆走の巻)のつづき。行ったのがお盆明けということもあり、釜石市街のあちこちにある墓地には多くの人が訪れていました。
この石応禅寺もまたそんなおまいりの方が多く、なんとなく居心地の悪さを感じてしまい、ここはスッと見てまわるだけでしたが少し後悔。
旅の恥はかき捨てとはよく言ったもんですが、もっと屈強な心を持ちたいものです。
石応禅寺の入り口。
青葉公園商店街と書かれているプレハブ小屋に30軒を越える飲食店や洋服店、理容室などが軒を連ねています。
通りを通ってみると明るい雰囲気でお客さんもいました。
奥に進むと石応禅寺の山門。
山門の手前には「津波到達の地」と書かれた石碑が。
こちらはどうやら2011年の東日本大震災の際に建てられたものらしいです。
その脇にある菩薩像は1896年に起きた明治三陸地震のときのものだそう。
また、釜石は1933年の三陸地震のときにも甚大な被害にあっているそうで、
何度も大変なことを潜り抜けてきたのだなと思うとなんだかすごいです。
曹洞宗の寺院・明峰山石応禅寺は寛文5(1665)年、釜石を訪れた長安林存和尚が、軽米出身の小軽米左京之介の寄進を得て開創しました。
当初寺院が建立されたのは狐崎腰懸岩付近(現在の浜町)でしたが、数度の火災で被災。明治16年の大火を受けて全焼した後、明治26年、現在寺が建つ大只越町に場所を移し、十五世・中興智賢和尚が再建に着手しました。
この本堂の中、あまりじっくりは見れませんでしたが天井の絵がすごかったです。
また、中には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩が安置されていました。
賓頭慮尊者像(おびんずるさま)がおり、高村東雲という仏師によって彫られたもの。
名前をみて「ん??高村光太郎のお父さん?」と思って調べてみるとそれは高村光雲でした。ちなみに光雲はこのおびんずるさまを彫った東雲の弟子だそう。
この石応禅寺、この日のメインであった釜石大観音と関係があります。
なんでも十七世・雲汀晴朗和尚はある日、無数の無縁仏より観音様の建立を催促されるという悪夢を見たのだそう。そして和尚は走馬灯のように周囲を回転する仏達と、観音様の建立を約束したのだといいます。
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お、おう
まあそんな感じで次に移動していきたいと思います。
・・・おまけ・・・
信号待ちをしていると山の上に白く輝くものが。
よーくみてみると・・・
仏像??
なんか浮いているようにも見えますね・・・・
ここはどうやら薬師公園というところだそう。
公園内には戦災者の霊を慰め、平和を祈って建てた平和女人像や、釜石製鉄所の発展に尽くした高橋亦助翁の頌徳碑が建っています。春には約200本の桜が咲き誇ります。
結局行けなかったんですが行けばよかったな~
・・・つづく・・・