味噌なめ地蔵を探して~身延編~
一昨日関東でも結構な雪が降り、そのせいか風邪を引いてしまった。
菜食になってから一度風邪を引くと重く長引く傾向があるので、
今回は何とか軽いうちに治したいな・・・と思っている今日この頃。
病床にて、地元の人々の病に寄り添う味噌舐め地蔵を思い出したので、
今日はそのお地蔵さまを探しに行ったときのことを書いていく。
まず、 味噌舐め地蔵のことはある本で知った。
山梨「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない山梨県の歴史を読み解く! (じっぴコンパクト新書)
- 作者: 平山優
- 出版社/メーカー: 実業之日本社
- 発売日: 2015/02/05
- メディア: 新書
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県立博物館の学芸員の方が山梨に来てから疑問に思ったことをまとめた本で、
県内の人は当たり前のこととして見過ごしているような小さいことも書いてあって面白い。
この本の中では主に北杜市の正覚寺の味噌舐め地蔵について書かれていたのだが、
インターネットで調べたところ山梨県内には甲府市と身延町にもそれぞれあるとのことで今回は激熱スポットである身延町の味噌舐め地蔵を探しに行った。
(失礼ながら個人的に結構な田舎のことを激熱スポットと呼んでいる・・・)
場所の情報はあまりなく、身延Lifeという観光客向け?の地域情報を発信しているブログの記事を頼りに身延へ向かった。
とりあえず、国道52号からこのブログにある特徴的な形の富士川橋を探していると
(富士川橋という名前の橋は結構たくさんあるようなので注意)
切石駐在という名前の信号がありそこを曲がるとそのまま橋をわたることができた。
信号をわたったところ。
片側ずつしか通れない狭い橋だった。
この橋を発見してから、なんだかんだで3時間くらいさ迷っていたので、
身延の味噌舐め地蔵を探している人のためにできるだけ詳しく書いていくことにする。
はじめ左に行ったら謎の山道に入り込んでしまったので、
正解は橋を渡り切ったら右に!
そのあと普通は車で5分くらいのところを曲がれば味噌舐め地蔵にたどり着けるのだが、せっかく?なので迷ったときに見つけたものを紹介していく。
ここまできてしまうともう行き過ぎなのだが、
真ん中の道をずっとまっすぐ行くと上田原(かみたんばら)になる。
※味噌舐め地蔵があるのは下田原(しもたんばら)地区。
そこで畑仕事をしていたご婦人たちに味噌舐め地蔵について聞くと、
味噌舐め地蔵というものをなんと聞いたこともないという・・・
「そういえば丸石商店のとこになんか神さんがいるとかいってたかな~
ここは上田原だから下って下の人達にきいてみろし」とのことだった。
(下田原のことを下の人達っていってたのがなんか印象的だった)
丸石商店なんかなかったよな・・・
と思いながらがっかりしているといい感じにUターンできそうな場所が。
そのちかくに伊勢神明社があった。
神明社?
中世以降,アマテラスオオミカミあるいは伊勢の内・外宮の神を祀った全国各地にある神社。
これは鳥居?なのだろうか。
坂を結構登っていくと建物を発見。
鳥居の近くにあった看板によると明神堂というらしい。
(通称:お明神堂)
建物の上にあった木の板の文字は傷んでいてあまり読めなかった。
中をのぞくと・・・
建物の外側が結構質素だったので(写真撮り忘れた)
中に色々物があることに驚いた。
そして中央の祭壇?にあるのは・・・
その時は暗くてよくわからなかったがすごく顔が笑っているようで恐ろしく写真だけ撮って逃げるように去ったのだが、
この像は日蓮上人が建長五年に清澄山旭ヶ森で立教開宗をしたときの姿で
「朝日の祖師像」というものだという。
そしてその隣は鬼子母神とのこと。
その建物をもっと上に行くと、社殿?が。
こちらの中は意外とがらんとしていて寂しい感じがした。
昭和天皇・皇后と平成天皇・皇后の肖像画以外何もなかったと思う。
少し開けた場所から住宅が見えた。
下に下ると、鳥居の近くに石仏を発見。
この左の二人寄り添う石像はこのあたりに多くあった。
道祖神様とよばれ里人に親しまれているそう。
右の祠には板が入っていた。
その他、この伊勢神明社について詳しくは看板の写真を撮っておいたので興味のある方はぜひ。
上田原を離れ元の道へ戻ると、
その途中に住宅群が途切れる場所があった。
誰かの畑道具置き場らしいので近づくことができなかったが、
結構大きな石像群が道路わきに並んでいた。
庚申塔しかわからないが、屋根を付けられていたり、
写真では確認しづらいがお線香を載せる台?みたいなやつもあったりと
地域の人々に大切にされているような雰囲気だった。
向かって右二体は首がない。
右の方に草に隠れていたが、首地蔵のようなものもあった。
近くでみたい・・・!という気持ちを抑え望遠で撮影。
山梨の首地蔵については昔の記事にあるので興味がある方はぜひ。
寄り道ばかりしてるが今回の目的は味噌舐め地蔵。
再び下田原に戻り郵便局なら何か情報があるかなと立ち寄ってみた。
郵便局の敷地内に秋葉権現があった。
・1997年3月上向の秋葉山頂から
この地ふれあいセンターへ遷座しました。
・火伏せの神として祀られています
・『秋葉』(いろいろ呼び方があります)
あきや あきば あきは あきあ あきわ
・秋葉(社)は全国に数千社あります
出典:看板より
秋葉権現付近をうろうろしていると郵便局におばあさんがきたので
話しかけてみると、やはり「味噌舐め地蔵」というのは聞いたことがないという。
しかし丸石商店のところに何か神様がいたという。
とりあえず丸石商店を見つけようと県道405号をさ迷ううちに日も暮れ始めた。
田原ヨイトコ花の里・・・
キキララ風のキャラクターが切ない。
この団地の裏まで探したがなく、あきらめていた。
このあと車に乗って変な山道に迷い込んだり、
ダンプがたくさんいるゾーンに入ってしまったりしてこのまま帰ろうかと思ったけど、味噌舐め地蔵を一目みたいと、再び郵便局に戻った。
今度は郵便局の局員さんに聞いてみたがやはり知らないとのこと・・・。
じゃあ丸石商店は・・・?と聞くと、
「ああ~丸石商店の近くに神さんがいるって聞いたことあるな~」
「お!」
丸石商店の場所を詳しく聞くとなんと目をつけていたところだった。
頑張ってねと郵便局のポケットティッシュを握らせてくれた局員にお礼を言い再び探しに行った。
これが丸石商店!
看板がないからわかりにくいが、黄色い屋根が目印。
そこの県道を挟んで向かい側の道をまっすぐ行くと
味噌舐め地蔵にたどり着くことができた。
実はこの道、探し始めの時に途中まで見に行ったのだが、
住宅地か?と思って引き返していたのだった。
この付近にはこうした看板が多いのでなにかあったのだろうか。
大丈夫?ほんとにある?と思ってしまうような道だが、
そんな気持ちを抑えて延々歩いていくと行き止まる・・・
??と思っていると、
右手の草むらの向こうに・・・
みそなめ地蔵という看板を発見!
見つけたときは少し感動した。
こんなに近くにあったのに・・・。
残念ながら味噌はついてなかったがなかなか迫力のある姿だった。
八日市場の大聖寺(だいしょうじ)に奉遷しようと下部方面から運ばれて来た地蔵菩薩が、下田原(しもたんばら)の坂下に来るとにわかに重くなり動かなくなった。軽くしようと石工が削ると多量の血が出たので、この地に祠を建て安置した。お地蔵さんの傷に味噌を塗ったところ傷口が元通りになったことから、怪我などの患部に味噌を塗り祈願するようになり、味噌なめ地蔵さんと呼ばれるようになった。(中富の民話)
帰るころにはすっかり夕方だったが充実した午後だった。
実は甲府の味噌舐め地蔵も見に行ったが、
写真のデータをなくしたので見つけ次第記事にしようと思う。
地図
おまけ
すすきとガマ。
かっこいいマンホール。
迷い込んだ山道の道祖神。