北アルプス国際芸術祭2017~仁科三湖エリア~
北アルプス国際芸術祭、前回は市街地エリアを紹介しましたが今回は仁科三湖エリアです。仁科三湖とは大町市北部にある「青木湖」「中綱湖」「木崎湖」の総称で、芸術祭の作品は「木崎湖」周辺に展示されていました。
「雲結い」 五十嵐靖晃
この作品は大町の人々とともに組紐を編み、制作されましたそう。
人と人とのつながりや相互扶助=“結”を通じて命をつないできたことや、垂直方向に異なる世界ヘとつながっていくという山岳文化の精神性の表現であり、また、北アルプスの雪解け水がやがて空ヘと還るという、大自然の循環のイメージの表現でもある。
こんなに細い糸を結ってあんなに太い1本の紐にするのはどれだけの労力が伴うのか…想像しただけでも凄いことです。
この日はよく晴れていたので、湖面も輝いてきれいでした。
湖畔を歩いていると、この旗がたくさんたっているところがありました。
(裏から撮ってしまいました・・・)
旗をたどっていくと仁科神社が。
このあたり一帯はかつて、三方を湖と沼地で囲まれた半島状の地形を利用し戦乱などに備えてつくった「森城」の址とのこと。現在では城の大部分は集落になり、本丸城は仁科氏や明治以降の戦没者を祭る仁科神社となりました。
手水所にいたみざる・きかざる・いわざる。
仁科神社の奥には阿部神社が。
ここは鳥居がなかったのですが、それはかつて森城落城の際、阿部五郎丸貞高が湖に逃げると日ごろ可愛がっていた犬と鶏がそれを追いかけたためそれが目印となり敵に見つかってしまい討たれたという話が元になっているそう。
そこからトリという音を嫌い、鳥居を設置しなかったというわけらしいです。
そのためこのあたりでは犬や鶏は祟りがあるとして飼わない風習があるとかないとか・・・
神社を湖畔とは反対側に下ると田んぼが広がっていました。
こういうところを見ると、会田誠の有名なおさげの女の子の絵をどうしても思い出してしまい、いつもにやにやしてしまいます。
長野、山梨あたりでよくみられる男女の道祖神。
大町の近くにある安曇野には「安曇野道祖神ロード」なるものもあるらしく胸アツです。
近くには大黒天が笑っていました。
大黒天の石仏ってあまりみたことなかったのですが、長野にはたくさんあり驚きました。大黒天はもともとヒンドゥー教の神様ですよね。
のちに訪れたお寺で聞いたのですが、このあたりは仏教と真言密教が混在しているそう。
そのとき聞いた話もおいおい記事にしていきたいと思います~。
べールの向こうに Caitlind R.C. BROWN&Wayne GARRETT
空き家を白いベールで覆った作品。
空き家をベールで覆っただけなのに、なぜかすごく印象的でした。
街中にある空き家。自分が住んでいるところも田舎なので、それは珍しい光景ではなくむしろ当たり前のように捉えていました。
人が住むための家に人がいないってよく考えたらものすごく悲しい。
外から眺める人間は、かつてそこにどんな人間の営みがあったのか、窓から見える残された家財道具や庭にある空の植木鉢、そんなものからしか想像することしかできないのです。
空き家だけでなく、現代、都会で生きるような人も同じですよね。一時期、埼玉のアパートに住んでいたとき隣に誰が住んでるか知らなかったし、知る必要もありませんでした。
それに家だけじゃなく、人間関係だって。
人との交流が苦手な自分がこの白いベールに覆われた古い空き家に重なって、しばらくこの場を動けませんでした。
「アルプスの湖舟」杉原信幸
木崎湖の湖畔で暮らす作家の作品。
湖面に写るアルプスを表現しています。
夕方だったので西日が射して良い雰囲気でした。
大町市でとれたお米がびっしり〜
大町の人々の生活に寄り添う自然を感じました。
建物を出たところからも湖がみえます。
はな。
「ウォーターフィールド(存在と不在)」アルフレド&イザベル・アキリザン
湖に何体もの不思議な形のボートが浮かんでいました。
一方のボートには枯れた樹木や幹や灌木、もうー方には空き家から持ち出された品々や日用品が積み込まれている。
前者では近代化による環境破壊ヘの警鐘、後者では過疎化の寓意を表現し、二つを混合させることで不可思議なイメージをつくりだす。
ボートがあったのは湖の端っこの一角でしたが、ゆらゆらと動くガラクタで出来たボートはある種の生命体のようにも見え愛らしいような不気味な感じがして面白かったです。
・・・おまけ・・・
たんぼ。
日暮れ。