兜跋毘沙門天立像を見に三熊野神社へ
前回のつづきです。
この日のメインだった花巻市東和町の毘沙門天立像を見てきました。
写真多め。長いです。
道中のレポートはこちら↓
土沢駅より徒歩1時間半、延々と畑道を歩き続けようやく看板を見つけました。
上まで続く階段に恐怖を覚えつつ進みます・・・
石碑はコンクリに埋め込まれていました。
飢餓死などの言葉が目立ちます。
階段の両脇にはアジサイが咲いていてきれいでした。
しかしここからが結構キツくて、駅まで歩いてきた疲れも重なり階段を上りきるころまでには全身がぶるぶるふるえました。
上りきったところ。
遠くまで見渡せます。
ずいぶん高いところまで登ってきたんだな~~
いよいよ到着です。
熊野の三神である伊弉冉之命(イザナミ)、事解男之命(コトサカノヲ)、速玉男之命(ハヤタマノオノカミ)をまつっています。
伊弉冉之命
日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった。
伊弉冉尊/伊邪那美命(イザナミノミコト)とは - コトバンク
速玉之男神
『日本書紀』の神話に登場する唾の神。絶命して黄泉国へ去った伊奘冉(イザナミ)を連れ戻しにいった伊奘諾は,見ないでくれといわれたイザナミを見てしまい,喧嘩して妻と別れることになったが,その別れ際に唾を吐いた。その唾を吐く神をハヤタマノオと呼び,(両神の関係を)掃う神を泉津事解之男と呼ぶ
ちなみにこの速玉男之命の次にうまれたのが事解男之命らしいです。
日本神話って知れば知るほど「なんか、狂ってんな~・・・」と思います。
言い伝えによると、延暦年中(782-806)征夷大将軍坂上田村麻呂がエミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を崇び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。康平5年(1062)に源義家が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。中世には和賀領主より社領70石を寄進され、元和4年(1618)に南部利直公より社領23石をいただいています。県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年に県の有形文化財に指定されています。
出典:看板より
狛犬の代わりに泣き相撲の勝者と敗者の石像が置かれていました。
泣いた方が勝ち?
力士の手形。
泣き相撲の土俵。赤ちゃんが戦うには結構大きいです。
さざれ石。
さざれ石はいろいろなところで見かけます。
土俵の後ろ側には天照大神の石碑とほこら。
こちらは土俵の横辺りにあったもの。
おみくじを結ぶところは怪しげな☆
別の方のブログではハートマークになっていたりと遊び心があって面白いです。
阿弥陀堂?
いよいよ毘沙門堂へ。
狛犬。
ぼろぼろですがこれはこれで良い感じですね。
もともとはこの中に毘沙門天がまつられていたそう。
中はこんな感じ。
この中にあの大きな像が入るのだろうか?
と思いますがきっと入っていたんでしょうね~
成嶋観音。
陶器でしょうか?つるつるしてそうで美しいです。
壁には剣?がたくさん。
実は岩手に来てから色んな神社でこうした剣を目にしていてすごく気になるのですが、インターネットで検索してもよくわからないので県立図書館の方でレファレンスしてもらっています。
先週お願いしたのでそろそろ結果が来るころかな?と思いますが、そのときはまたブログにもわかったことを書きます。
山王天龍之命
この山王天龍は、この地から約200mほど離れた大蛇沼に棲み、水を司どり田畑能成に施与した大蛇である。しかし現在は大蛇沼の水も嗄れ数百年の歴史が流れている。伝えによると、平安時代「城主」時の征夷大将軍坂上田村麿の手により大蛇は追われ名称、蛇走の滝から猿ヶ石川に逃げ落ち大蛇は北上川を流れ下り、そのまま黒岩に身化したという生々しい伝説がある。現在の黒岩村落はその旧の所在地であったという言い伝えは今でも残されている。その後、大蛇沼の水は嗄れ、庶民や民百姓は非常に困った時代があった。大蛇もまた多難な幾歳月、年ふり年たけようよう大蛇沼に立ち戻り「山王天龍之命」として庶民に福徳を授け、現在毘沙門天の侍仏として仕え、貢献されている。
出典:石碑より
山梨にもいくつかの「味噌舐め地蔵」が存在しますが、岩手にもそういった信仰があるとは・・・!この神社がある花巻も山梨と同じく盆地なのでなにか似た文化があるということでしょうか。
これは毘沙門天の脛の分身なのだそう。
600円で味噌を塗れるっぽいです・・・
またこの味噌を塗る信仰を目にして宮沢賢治も詩を読んだそう。
こんな感じに。
そして、この先に兜跋毘沙門天立像がありました。
撮影禁止だったので写真は以下のサイトでみてみてください。
毘沙門天立像 | 一般社団法人花巻観光協会公式サイト 五感で楽しむイーハトーブ花巻
中央に毘沙門天、その両脇に藍婆、毘藍婆とその更に両脇に吉祥天、阿弥陀如来が安置されていました。
毘沙門天の下には女の人がいて、両手で毘沙門天を支えています。
案内してくれた方がいうには、一説によるとこれは坂之上田村麻呂に責められ支配され圧迫されていた東北を表現しているのではないか?との見方もあるそう。(ちょっとうろ覚えですが・・・)
また、吉祥天か阿弥陀如来のどちらかは(すみません忘れました。向かって一番右の像です)本来は十一の顔があったそうですがなくなってしまい今の頭がついているそう。
また、先の東日本大震災でこちらの像たちも被災し、(ゴロゴロ倒れたそうです)多くの人の寄付によって修復されたそうです。
よかったよかった~~
しかし、これは本当に1時間半かけて歩いてきて良かったなと思いました。
岩手を訪れた際はぜひ足を延ばしてみてください。
・・・おまけ・・・
神社の中にニホンカモシカらしき動物がいました。かわいい。
駅に着いたら帰りの電車は二時間後でしたがSL銀河がきたので楽しかったです。
カメラ小僧もたくさんいて土沢駅はどうやら良い撮影スポットみたいですね。
土沢駅~三熊野神社までの道でみつけた石碑など。
天照大神。
長野とかでよくみる感じのやつ。
昔のお墓みたいでした。
七庚申と、あとはもうぼろぼろでよくわからなかったです。
放し飼いの馬・・・